「真実のみが末通る」〜住岡夜晃の生涯〜5【光明団の誕生 (1)】


 飯室の学校に移られた先生は、「念仏はないし、孤独そのもので、ただ闇の中に苦しんでいた」と述懐しておられますから、ご自身の人生について真剣に苦悩しておられたようです。先生はその自己と人生の根本問題を解く鍵をどこまでも仏教の中に求めていかれました。そこで、村内にある「養専寺」の経蔵に入って熱心に大蔵経をひもとき、経・論・釈を読んで求道精進を続けていかれました。その結果、二十四歳の夏、「信の火がかすかに点ぜられ、如来の慈光によみがえる」とおっしゃっておられますように、ようやく如来・真実と出遇われたのです。
 ご自分の名前を〝狂風〞と名のられたのはその時です。〝狂風〞という名前について、後に先生自身は次のように語っておられます。

「私が狂風と号したのは、私が(数えで)二十四歳の年でした。何ゆえに狂風と言ったか。・・・その頃の私は、私自体の無明煩悩も狂風そのものでしたし、大悲の風もまた私を根こそぎ動かす激しい風でした。最初の念仏の夜もまた狂風吹きすさぶ夜でした」

『住岡夜晃全集』第一巻より

 たとえかすかであっても、「信の火」が点ぜられたということは、長い間自分を閉じ込めていた自我の煩悩の殻が破られて新しい自己が誕生することです。〝狂風〞とは、その新しく誕生した自己の名前だったのですね。その新しく生まれた自己は、もうじっとしていることは出来ません。それが、大正七年(一九一八年)十一月十五日に、住岡狂風という名前によって発表された、「親しい若い皆様よ」と題する檄文(げきぶん)だったのです。先生が二十四歳の時でした。檄文とは、 自分の信念を述べて多くの人に呼びかけ、新しい行動を促す文という意味です。
 後でまた触れますが、「光明団」という求道団体は、実質的にはこの檄文によって呱々の声を上げたといってもよいかと思います。先生ご自身は、翌年(大正八年)一月の、機関誌「光明」第一号の発刊をもって、「光明団」の誕生と考えておられますけれども、この檄文の発表と、翌年正月の「光明」の発刊とは深いつながりがあるわけですね。檄文は吉坂小時代の卒業生や先生の話を聞くために集まっていた青年たちにも出されていたはずですから、反響が相当あったに違いありません。「光明」の発刊はすでに先生の計画の中にあったとしても、檄文に対する反響がその後押しになったことは間違いないと思われます。
 
 さて「檄文」の対象は、その題名〈親しい若い皆様よ〉から分かるように、どこまでも若い青年男女でした。宗教は老人や病人のためのものであって、自分たちには必要がないと考えているまだ若い健康な青年こそ、本当は一番仏教を必要としている存在だと見破っておられた所に先生の優れた先見性がありました。もちろん先生ご自身まだ二十代半ばということもありますが、仏教、特に親鸞聖人によって明らかにされた本願の仏道の本質を直感的に見抜いておられた先生の領解と思索の確かさをそこに感ずることが出来ます。
 「檄文」の書き出しの言葉は次のようなものでした。

「親しい若い皆様よ ! 皆様は今何を考えて暮らしていますか。何をなして暮らしています?何を聞いて暮らしていますか。朝から晩まで考えることは、自分の利益にのみなることや、他人(ひと)の出世や幸福(しあわせ)を見て、悪(にく)むことや、どうかして他人に自分を賢く美しく思わせることばかりが多くはありませんか。
 皆さまは、濁った濁った世の人々が、自分のほうに自分のほうにと、自分の利益になることや名誉になることばかり考えたり、犬畜生が一匹の魚を争うように、人と人とが争い乱れているのを毎日見はしませんか。
 皆さま、こんな人たちの中で、やはりその勢いに引かされて、自分の利益や名誉にのみなることや、他人の財産や幸福や風体(なり)を見て、ねたむことや、親兄弟友人を泣かすことや、むだなお金を使うことや、自分の不幸を嘆くこと、こんな事をなすことが多くはありませんか。」

 一読してお分かりのように、先生はまず、このような具体的な言葉で私たちのありのままの現実に問いかけられます。これは一口でいえば、〝君はそれでよいのか〞という問いですね。〝私の生活はこのままで本当によいといえるか、何も問題は無いだろうか〞という私への問いかけです。
 私たちは本当は、真実なるものからこのように問われている存在です。その大いなる問いの前にしっかと立つということが道を求めるということであり。宗教への入り口なのです。
 つまり自分のことしか考えられない我執と虚偽と怠惰に満ちた私の赤裸々な現実に目が覚めるということ、そしてその自覚にたって新しい自分になろうと決意すること、これがこの檄文で先生がどうしても伝えたかったことでした。そのために先生は、この次の文で先生ご自身の痛切な懺悔の言葉を出しておられます。

「ああ!私はつまらない人間です。心は悪いことのみ多く考えていました。目は、悪いことやつまらないことを見るのが好きでした。耳は、世の中の卑しい出来事や、他人の不名誉になることや、無駄なことのみを進んで聞きました。口は、他人を悪くいって・・・欺いたり、自分を飾るために一番よく使いました。」

 そしてどうか今までの自分のあやまりに目覚めて、ぼくと一緒に正しい人、真の人になろうと呼びかけて、

「心の琴線がぼくの心と共に鳴る人、そうだと感じて大勇猛心の起こった人、覚めようと思う人は、一人でも、友達と二人でも、兄弟姉妹と三人でも、ぼくの所に何か書いて送って下さい。」

と結んであります。
 この檄文を貫いているものは、どうしてもよびかけずにはいられない先生の燃えるような〝熱〞です。理論ではない、熱が人を動かすのですね。この檄文の全文は、後ろに資料として出していますのでご覧になって下さい。

親しい若い皆様よ(檄文) ⇓